TOP > 転職活動のポイント > 55歳を過ぎてから成功した人物
中学の社会の教科書にも出てくる人物で、日本地図を作製したことで有名です。
彼は千葉県の九十九里浜の生まれ。幼い頃に両親を亡くしたため、17歳のときに県内(佐原市)で代々名主を務め、造り酒屋を営む伊能家に婿養子に入りました。
50歳で酒屋の経営を息子に譲り、隠居生活に入ってからは毎日退屈な日々が続きます。
毎日をただ見送るだけの暮らしが続くなか、55歳になってから幼い頃の夢であった日本地図の作製に取り組む決意をしました。
当時は測量機器もない時代。磁石を手に徒歩で全国をまわり、完成するまでに約20年を要しました。
実際には地図が完成する2年前に亡くなりましたが、彼がつくった地図の正確さは、30年後にペリーが浦賀に来航した際にはじめて立証されたそうです。
当時のアメリカは貿易が盛んで、船で計測した日本地図を持ってペリーは来航したそうですが、伊能忠敬の作製した地図の正確さに驚き、一部を持ち帰ったという逸話もあるくらいです。
彼がつくった日本地図は、飛行機で計測した地図が登場する明治時代まで使われました。
伊能忠敬のように、幼い頃の夢の実現に向け、後世に名を残せるほどのチャレンジをするのも一つの選択肢です。何かをはじめる場合、自分で壁をつくらない限り、遅すぎるということは絶対にありません。
カー用品の専門店として有名なオートバックス。
皆さんもご存知だと思います。オートバックスの正社員であった湧田さんは、57歳のときに早期退職を宣告されました。
これまでにカー用品の販売経験しかなく、再就職するにも当てがありませんでした。
やりたいことやできる仕事もなかったため、社長に頼んでオートバックスの看板を借りて、これまでの仕事を続けさせてほしいと直訴したそうです。
こうしてできたのが、オートバックスセブンという会社です。フランチャイズ(FC)の1号店としてスタートし、5年後には営業利益ベースで親会社の売り上げを抜きます。やがてオートバックスを吸収するまでに成長し、10年後には上場を果たしました。
なぜ、FCとしての参画企業が親会社を飲み込むまでに成長したか、皆さんご存知ですか?品揃えも価格もオートバックスと同じで、湧田さんが特に変わったことをはじめたわけではありません。
以前、新聞のコラムでも取り上げられていましたが、店舗の従業員に毎日の朝礼で、同じ言葉を繰り返し述べていたそうです。
その言葉とは、「お客様に対して【またカー用品を買うときは、この店に来ようね】と思っていただける接客をしてください」という、この一言だったそうです。
いまでこそ不景気の影響で少しでも安い店で買い物をする人が増えてきましたが、30年ほど前は「感じの良い店員がいるお店」が、顧客満足の一番の決め手となったようです。
商品力以外で同業他社との差別化を図っていくことは重要なポイントでしょう。
そして、これは企業面接にもまったく同じことが言えます。
以上の5ポイントが揃っている人材が、企業から選ばれる人材です。
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